Hello,Hokkaido-Sapporo-city!!

11月某日

いつもツアーブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。
今回のツアーブログは、ツアーのことではなく、少々長く、尚且つボクのプライベートを晒す部分もありそうです(^^ゞ
「そんなのは求めていない!」という方は、退散して頂いて結構です(笑)。

さて、季節が秋から冬へと移りつつあるこの頃、悲しいかな、さすがにツアーのお問い合わせも減って来ました(^^ゞ
そんなわけで時間的余裕もあるので(分かりやすく言えば「ヒマ」、笑)、

「会いたい人に会いに行こう!」

って感じで、北海道へ行って来ました(笑)。
ボクが長年にわたり愛して止むことなく乗り続けているシーカヤックは、

撮られるのが苦手で、自分が漕いでる画像って少ない・・・(^^ゞ

北海道にあるノーライトデザインさん製です(詳しくはこちら)。
そのノーライトデザインさんの社長の弘中さんと息子さんの祐さんに会いに行こう!
と、思い立ったわけです(^^ゞ
ノーライトデザインさんのシーカヤック、上の画像「ラサ」という製品ですが、もうかれこれ16年乗り続けています。
2005年に、横浜のシーカヤックショップ「サウスウインド」さんを通して買ったんですが、今もまだサウスウインドさんのホームページにボクのラサが掲載されています(笑)。

ボクが所有しているノーライトデザインさんのラサは、乗り降りしやすいコックピットのサイズと、漕いだ時にとても自然な動きをしてくれるので取り回しもしやすく、それでいて直進性や安定感もあるので、漕いでいてとっても良いんです。
その後、惚れすぎてノーライトデザインさんのシーカヤックを3艇も買ってしまいました(笑)。
こちらがその3艇です(^^ゞ

当店でご購入希望の方、ツアーの際リクエストいただければ画像のシーカヤックをご用意いたします

どれも思い出があります。
一番左のラダー(舵)付いているアマタック(ケブラー製)は、伊豆諸島を漕ぎました。
真ん中の黄色のラサ(ケブラー製)は、今もメインに使っています。
一番右のラサ(FRP製)は、那覇から慶良間諸島座間味島に向けて漕いだときに使いました(ご協力いただいたケラマカヤックセンターさん、サウスウインドさん、その節はありがとうございます)。

ゴールの慶良間諸島座間味島の阿真ビーチにて

開業後、幸運にも弘中さん・祐さんとお会いする機会がありましたが、お会いするのは極まれ。北海道、そして三浦と少し離れていますからね。
当店でお客様からのノーライトデザインさんのオーダーに関しては、電話やメールなどでやりとりしています。が、なんか無性に会いたくなりまして、気づいたら航空券の予約をしていました(笑)。
久々の北海道です。
初めて北海道に行ったのは、1990年の「青春18きっぷ」で訪れました。このときは大好きな浜田省吾の函館でのコンサートのチケットが入手出来たので、「初めての北海道なら旅しちゃおう」って感じで行きました(^^ゞ

今から30年以上も前とは、隔世の感がありますね(^^ゞ

1991年には新木場からフェリーで苫小牧に入ってレンタカーで駆け巡りました。そして2007年、当時勤めていた会社のセールスコンベンションが函館で行われたので、そのとき訪れたのが最後でした。
だから、すっごくワクワクして飛行機に乗り、新千歳に降り立ちました(笑)。
久々にお会いする弘中さんと祐さんはとてもお元気そうで、本当に良かったです(^^ゞ

有難いことにノーライトデザインさんの工房を案内していただきました。

森の中の工房は、シーカヤックの製作にはとってもマッチしていて、本当にカッコよかったです。
しかもこちらの工房は、弘中さんが建てたとか・・・(笑)?
凄いなー、こんな立派な大きなのをご自身で建ててしまうなんて、半端じゃない(^^ゞ
中に入り、シーカヤックが出来上がるまでの工程まで説明してもらいました。

「文系男子」なボクには、お二人が説明してくださる製作工程の話が新鮮で、とても勉強になりました。また、一艇一艇大事に丁寧に造られているのも分かり、今まで以上に大事に扱うことを心に決めました(^^ゞ
この日は、工房に隣接する祐さんが建てたカッコ良い小屋に泊まらせてもらうことになり、楽しいひと時となりました。
弘中さんの若かったころのお話に色々とビックリさせられることが沢山ありました(笑)。
弘中さんは、70年代にアメリカやメキシコを車で旅したそうですが、その車はなんと、日本から持ち込んだ愛車シビックだったとか(笑)!?
左ハンドルの国アメリカに、右ハンドルの日本車を、それも今と違ってネットなどないし、情報も限られている状況下において、実現しちゃうとは半端ないですよー(笑)!!!!
と、素っ頓狂な声を上げると、当時を思い出されるような柔らかい笑みを浮かべながら、
「レンタカーとかだと、国を跨いだりすると、そのたびに返却したり色々と煩わしいでしょ?」
「確かに、日本で車を持ち込む手続きはとても面倒だった。行ってみると、右ハンドルの車が珍しいから、現地の人からよく写真を撮られたよ(笑)」
ボクも学生時代や、社会人になってからも有休取って、アメリカに11回か12回ほど行ってましたので、そのレンタカーならではの煩わしさと、向こうの人が珍しがる情景も目に浮かびます(^^ゞ

2003年、アリゾナ州とユタ州境にある西部劇で有名な「モニュメントバレー」付近にて

そんな弘中さんは、ボクがSNSとかでシェアする音楽、70年代の洋楽とかなんですけど、それに驚かれていたそうです(笑)。
「なんでバリー・ホワイトとか知ってるの?」
なんて聞かれました(^^ゞ
有名な楽曲だとこちらとか、

こちらも有名です(^^ゞ

どちらも広く知られた楽曲だとは思うんですけどね(^^ゞ
特に2番目の楽曲は、90年代後半日本でも流行った海外テレビドラマ「アリー・マイ・ラブ」でも使われていました。
でも、「なんで?」って言われると、なぜだろう(笑)?
「いやー、なんでなんだろう・・・(^^ゞ リアルタイムでは、うーん、もちろん幼稚園とか小学生だから聴いたことはなかったんですけど、大人になってどこかで耳にして良かったからなんでしょうか(笑)」
なんて会話が繰り広げられていました。
一方、祐さんの今のお仕事はこちらです。
自然豊かな北海道でアウトフィッターとして活動しつつ、とてもカッコ良くて大きなテントの販売や設営のお仕事もなさっているそうなんです(^O^)
で、尚且つお父さんの弘中さんのサポートもしている・・・。
祐さん、凄いなー。
とても刺激になりました。
弘中さん、祐さん、ありがとうございます。
今回、久々にお会いできて本当に良かったです。
本当はもっと前に伺いたかったんですけど、これからもこんな感じで訪ねたいと思っていますので、また心も身体も元気な姿で再会しましょう(^O^)

そして北海道にはもう一人、会っておきたい人がいます(^^ゞ
通称かばやん(^O^)
かばやんは、ボクがサラリーマンをしていた時の元同僚。同い年で同じ部署で働き、お互いの実家も割と近く・・・、ってことで仲良くしていました。
ボクが会社を辞めた1年後、かばやんも転職。
開業したボクを心配してくれているのか、いつも定期的にツアーに参加してくれている有難いお客さんでもあります(^^ゞ
そうしたら、最近、札幌に転勤になったとか・・・。
見送りに行きたかったけど、ちょうどツアーと重なって行けなかったので、かばやんにも会わなければ、ってことで会って来ました(笑)。

昔話やこれからの話で大いに盛り上がりました。
今回、ボクの「会いたい人に会いに行く」ツアーは、とても有意義な旅となりました(^O^)
めでたしめでたし・・・(笑)。

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